タイミング逃せば どうにもなんない

語彙力がないヲタクの戯言

染、色を汲む

 

 

 

今年もリューンの季節がやってきた。

 


違う。

 


今年は『染、色』の季節がやってきた___

 

 

 

 

 

 

 


初めましての人もそうじゃない人もこんにちは。おチビです。

 


私にとってここ2年、6月はリューンの季節だった。

6月の鳴き声は「リューン」だった(鳴き声とは)

 


2021年6月、新たな風が吹いた。

 

 


評判の良さにハードルのハードルを上げて観劇した舞台「染、色」

 


観劇後の感想は…

 

 

 

 

なかった。

 

何も考えられなかった。

 

 


どんな色に染められるかワクワクして入った舞台、

染められるどころか、“色を失った”といった感覚だろうか。

 


思考を止められた感覚。でも何かすごいものを浴びたという、間違いない感覚。

 

 


こんな感覚は久しぶりだった。いや、初めてかもしれない。

 

 

 

 

 


私はものすごい作品の目撃者になってしまった。

 

 

 

 

 

あのおしゃべりの私が、観劇後、無口だった、途方に暮れていた。なにも、何も考えられなくなっていた。

 


劇中涙が出る時もあった。ずっと目頭に涙がたまるような感覚があって、どこかのシーンで溢れた。激しく、ではなく、静かに泣いた。

なんで泣いたのか、何が刺さったのかは不明だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと言葉を紡ごうとした時の私である。

言葉は出たものの、文章にはならない。しばらくそんな感じ。

 

 

 

上の単語の羅列にも出てくるけど、印象的だった白いキャンバス。深馬の作品はずっと真っ白なままだった。最後の展覧会に出した絵も、ロランスさんに提出しようとしていた絵も見せてくれなかった。

 

 

観劇が終わった後の私は真っ白いキャンバスのようだった。より理解を深めようとした2度目の観劇、終わった後はやはり深まるどころか真っ白になった。

 

 

 

だからこそ、何色にでも染まれる。どんな考え方もできる。

 

 

 

 私なりに染、色の意図を汲み取る。

 

 

余談。

2020年、開くはずだった幕が上がらずに延期になった。その間に加藤シゲアキさんは『オルタネート』を書き上げ、高く評価され今注目を浴びている。

そのおかげか、連日観覧席(後方)には普段の活動では考えられない数の、関係者の皆々様が観劇されている。

そこで遺憾なく力を発揮する正門さん。これはきっと、きっと次の仕事につながると思います。楽しみです。

 


※ここから先はネタバレです。話の本筋に触れます。観劇前に読むことはお勧めしません。自衛してください。

※また、個人的な解釈であり、製作側の意図とは異なることがあります。

 

 

 

 

 

脚本が出来上がってから、キャスティングされたという、オリジナル舞台「染、色」

やはりオリジナル作品を0から演者たちとスタッフで染め上げていく、というのはとても面白い。私はオリジナル舞台が好きなのかもしれない。今回一応原作があったものの、原作者でなければ許されないような大変革された別作品だった。

 

  • 演者として

群像劇として、変革された「染、色」。主人公深馬(市村)だけにフォーカスを当てるのではなく、6人全員に物語があり、それが波紋のように広がって全員を巻き込んだ一つのドラマになる。いや、波紋のようなきれいなものではなく、それぞれの塗料が垂れて縦横無尽に歪な形に滲み、広がり混ざり合っていく…といった感じに近いだろうか。

私のイメージは5色の水滴を真未が筆でかき混ぜて、混ざり合った部分が黒く濁るイメージの舞台だったかなと思う。

HPの水紋きれいだよね。

 

杏奈

その中でもピンクで華を添えるのは、黒崎レイナさん演じる杏奈。

唯一原作から登場する人物である。

ただし、原作の時は”彼女”としての役割だけだった杏奈に、必要とされないことに悩む一人の女性といった群像劇のストーリーが加えられる。

杏奈はきっと多くの女が嫌いだし、また女から見て一番情が移る役でもあったと思う。杏奈はうっとおしいし、杏奈は希望。重い女、にも見えるし、健気、にも見える。

最初、それぞれの苦しみが描かれていたけど、杏奈の苦しみはあまり深く描写されてなかったように思えて、逆にそれが酷で刺さるという印象を受けた。

でも深馬にも必要とされなくて、就活に行き詰って社会に必要とされてなくて…自分の存在意義を問いただす場面もあった。そしてただ一人、良い方向に変わっていく場面も。なんだ、めっちゃちゃんと描かれてるじゃん。

 

杏奈の着信音がエセPretenderなの、面白いよね。っていうか初見の時、Pretenderだと思ったら微妙に違って気持ち悪かった(笑)

君の運命のヒトは僕じゃない
辛いけど否めない でも離れ難いのさ

杏奈と深馬を体現したような歌詞。

 

 

杏奈が北見と原田に「深馬くんってどんな人?」って聞いたとき結構やばいなって思った。あーこの人表面的な人間なんだなぁって。才能とか主席とか顔とか顔とか顔とか(違)私、ちゃんとした就活をしてないので、面接のノウハウみたいなのわからないけど、就活の時も型にはまった上辺なことしか言えなくて、落ちて。そりゃそうだよなって思ってみてた。黒崎さんも言ってたけど、たぶん杏奈って深馬のことよくわかってないんだよね。

杏奈の強かさも最初好きになれなかった。北見の気持ちを知りながら深馬のことを北見に相談する杏奈。"他に女ができただろう"ことを分かりながら、わざわざ自分に気のある北見に相談するあたり、めちゃくちゃ嫌な女。ホンマに北見と杏奈なにもなかったんか?

 

でもだんだん情が移ってくるときもある。

「たとえ私の知らない深馬くんがいたとしても、それでも私にとっては大切な人だよ」「好きだよ、私は…」

杏奈お前ぇ…健気…このセリフ苦しい…。全部、全部わかっている杏奈のか弱くまっすぐな言葉。明るくふるまうようにポリダクトリーの話をするときも少し震えた泣き声のままの杏奈。

周りから「私が幸せにしたるから深馬と今すぐ別れろ!!!」って聞こえてきそう。

なんで杏奈はこんなに大切にしてくれない深馬のこと好きなんだろう。

っていうか杏奈って本当に深馬のこと好きなのかな。なんであんなに都合のいい女になってしまうんだろう。

 

杏奈はまちがいなく現実世界を生きていたんじゃないかと思う。自分にとって都合のいい言葉をくれる真未に対し、深馬が欲しがる言葉を与えられない杏奈。周りからは理想の彼女だけど、当人にとっては都合がいいけど理想ではない彼女。現実世界の象徴では?

そして最終的には大企業への就職も、深馬も手に入れた杏奈。杏奈黒幕説唱えたくなるのもわかる。”いい人は悪い人かもしれない”からね。結局杏奈だけが勝ち組じゃん。

杏奈は結局1人で変わったわけだけど、杏奈はどうやって変わったんだろう。やっぱり新しい男…?(えっ)

自分のことを好きじゃないことをわかりながら、付き合い続ける杏奈は都合がいいなとも思うし、強いなとも思ったりする。そんなセリフないけど、きっと最後は「深馬くんどうしたの?大丈夫だよ、深馬くんこそ大丈夫?何かあった?」って優しい声が聞こえてきそう。

 

でも杏奈は1人で変われたから、深馬がいなくても自立できたから、深馬が助けを求めてきた時、ハッと目が覚めたりするんじゃないかな。人って追いかけるときは必死だけど、手に入るとどうでも良くなる時ってあるじゃないですか。自分が苦しんでるとき、彼は全然自分に向き合ってくれなかったし。

「私もう、深馬くんがいなくても生きていけるよ。深馬くんなら自分で変われるよ、だってすごい人だもん」なんて言って苦しむ深馬を見捨てる…なんてエンドもあるかも知れない。そんなことされた暁には、深馬もう立ち直れなくなるけど。

そこは、作者が返答をこちら側に委ねたので、無限のストーリーがある。

ところでここでPretenderの着メロの話に戻るんだけど、″ひとり芝居″や″観客″、世界線の違いっていうところがやたらしっくりくる。別れを選ぶ前兆かも知れないなって。あのイントロからここまで歌詞に引っ張られてしまうの、さすが髭男先生だな。

でもまぁ最終的には希望を与えてくれる部分があると話しているところや、黒崎さんの演じ方的に、今回の染、色にはそんな終わり方はないんだろうな。上はただの可能性の話。

 

杏奈の衣装

登場の度に衣装を変える杏奈。かわいらしい清楚系の衣装に、リクルートスーツ。あまりにもころころ変わるから気になる。声色だけでなく衣装でも多面的な人格を表しているんだろうか。

就活シーンで「様々な考えかたを学んだので、物事を多角的に柔軟に考えられる」とアピールすると、「芯がないのではないか」と指摘される杏奈。「自分の考えがないわけではなくて…」と反論するも、

コロコロ変わる衣装は彼女の不安定さ、ブレを表しているのか、はたまた、いつも違うおしゃれな服を着ている理想の彼女像を作り出すためなのか…。

 

北見

アミュの松島庄汰さん演じる北見。ちょっとチャラめのTHE・大学生って感じの青年。私はちょっと好きじゃないな。北見を演じている松島さんの第一印象は、あ、この人リア恋枠ですね?って感じ。

喧嘩で強く深馬とぶつかり合う場面もあるけれど、なによりセリフのないシーンでの表情やしぐさで、妬み嫉みが表現されていて、北見の葛藤が見える。ちょっと感情に余裕のないところとかリアルな大学生を演出している。好きな女の子に気持ち届かなくて、半ばやけくそみたいな感じで遊び歩くのかな。大学の時、そんな子いたなぁ。

 

北見はあんまり深馬のこと好きじゃなかったんじゃないかなと思う。才能は認めてるし、友達だと思ってるけど。いや、私、男の友情についてはよく分かんないんですけど。恋愛も才能も自分の1歩上にいる深馬に、劣等感を感じずにいられるわけがない。

ちょっとよくわからなかったのが、真未の「ひどいなぁって。こんなの小学生の時に作ったのと一緒だよ、発想が砂。」も、深馬の「北見のほうがもっとすごいのに…」も、両方本音なのかな。どちらも上辺の言葉には見えなかったし、でも矛盾しててどっちが本音かわかんない。

花見のおばあちゃんのボケも、前澤の100万円が〜のくだりも、深馬や杏奈が全然余裕なくて全スルーされてるの可哀想すぎません?笑

 

原田

こっふぃーさんこと小日向星一さん。ミッフィーちゃんみたいでかわいいな。杏奈の次にこちら側に近い存在かな。でも原田もどうやら美大に現役合格してるっぽいし、やっぱり彼も十分才能ある側の人間なんだろうな。素人にはその違いは分からないけど。

面白いなと思ったのが、正門さんも好きだという、北見原田杏奈の3人が深馬のいないところで深馬のことを話すシーンでのこと。

北見:自分はこの先こうなるんだろうってなんとなくわかる

原田:可能性が広がってるときって、一方で閉じていく可能性もあるんだよね

杏奈:みんなの言ってること全然わかんないよ

 この時杏奈はメインステージから降りていて、2人との間に10センチくらいの溝があるの。

 

優しい原田から出るマイナスイオンに癒されつつも、心の根底にある原田の一言が刺さる。

圧倒的才能を持つ深馬と北見と一緒にいる原田。これも"劣等感"かな。「自分が虚しくなる」と話す原田。

でも先生、俺以上に2人のことを気に入って

好きな人がこっちを見てくれない、と言う苦しみはどこか杏奈と通ずる部分もあるような。原田、めちゃくちゃ抱きしめたくなる。

 

原田と深馬の関係も好きです。深馬、原田のことはきっとちゃんと大切にしていて、無意識の間に傷つけてしまうこともちゃんと申し訳なく思ってる。

結局原田が滝川のことを好きだったってことは事実だったし、それを誰にも言っていないことも事実だった。深馬自身が勝手に見て気づいたこと。

 

原田のファインダーにはきちんと何か写ってた。あれ本当になにか撮ってるのかな。原田がファインダーをのぞくとき少し猫背気味で前のめりに撮るんだけど、喧嘩してるときや、北見が嫉妬に駆られているいる様子を少し後ろめたそうに撮るときは、背筋がしゃんとしているの、やっぱり抱きしめたくなる(ただの感想)

北見が落ち込んで、杏奈ちゃんが慰める静止中に、原田が隠しカメラを取るシーン。あれは現実世界でも起こっていたこと。あの演出にはどういう意味が?

 

寂しい時に寂しいって言えないんだよ。

俺なら好きな人に2ヶ月会えなかったらオールバックにするね。

って言ってた原田が卒業の居酒屋シーンでオールバック姿で現れるの、あぁ、好きな人(滝川先生)が遠くに行っちゃったからだよね、原田。切ない。

 

原田が「絵を壊したのは先生じゃないよ、いつか使えればと思って隠し撮りしてた」って言うときの表情、知らない女の人が壊してる映像だとあの表情にならない気がするんだよね。

原田は真未のこと知らないから、真未は深馬としか会ってないから、パラレルワールドがあった訳ではなく、深馬には自分が真未に見えていただけ?あの時点で原田の目には、スマホには、元々深馬が壊してる姿が映っているんじゃないのかな

私たちは深馬の目線で見せられてるので、真未が壊してる映像だけど。

 

  

滝川

謎。一番謎。

深馬が信頼できる語り手ではないので、どこまでが本当の滝川で、どこからが深馬の作り上げた滝川像なのかは不明。やばい人かもしれないし、ちゃんとした大人かもしれない。

でも、私は滝川はまともな大人だったと思います。多分。なによりも原田が好きだったという事実が、滝川のまともさを助長させているような(原田の圧倒的信頼感)

 

滝川のセリフ、すごく印象に残っているのでちょっと備忘録。

なんでお前が、俺の夢を叶える

15年ロランス朱里に認められるために努力してきた

もっとあがけよ…じゃなきゃ俺の時間がさぁ

当てどころのない滝川の怒り。20歳前後の登場人物の中で1人大人な、孤独な先生。

あまりにも滝川のメッセージが強くて、そこに岡田さんの表現がプラスされて、強い強いシーンになる。あのシーン、深馬としてだけではなくて、正門さんとしても吞まれるんじゃないかな、迫力に。

 

 

これを描いたやつのふりをしていれば、ふりでも続けていれば、何かつかめるんじゃないか

誰かの力で、誰かになろうとしている。そうやって非凡を気取ろうとしている。

このシーンは結局、実際は存在しなかった時間なわけで、全部深馬の中で別の世界で深馬が深馬自身に投げかけている言葉として解釈するのであれば、あまりにも酷な言葉である。僕は天才ではない、平凡だ、と謙遜しながら、自分の才能を回りに認めてもらいたいという深層心理があるはずの深馬が、自分自身に「誰かの力で才能があるように”気取ろうと”している」って投げかけているって、あまりにも虚しくないか。

本物を演じていたら本物になれる

これは原田の言葉でいちばん強く残った言葉。友達を演じたら本当に深馬と北見と友達になれた原田の言葉。滝川に共感する原田の言葉。

ちなみにPretenderは「何かのふりをする人」という訳になる。

意味?意味なんか最初からないんだよ

この言葉、聞くとしんどくなる。でも嚙み砕けなくてよくわからない。いや、感覚ではわかるんだけど頭が理解しようとしない。ただ、鋭利な言葉だなって。

 

全部、滝川がやったことにしていいよ

深馬がポリダクトリーとして世間に評価されていたことに、背を向ける。つまりやっぱりアートの世界から逃げたいのかなって思いました。

 

 

 

 

  • 演出として

まずどこまでが、演出でどこまでが脚本かわからないんだけど。

 

  • 白と黒

深馬が最後の展覧会に出す絵の制作をしているところから、始まる。

その時彼は、白インナーにベージュ(白っぽい)のズボン

大学の友達としょうもないことで笑いあったり、彼女といちゃついたり、将来に悩んだり、普遍的な日々。

 

アーティストとして、なかなか作品が完成できないことに悩む深馬。納得のいかないまま出した展覧会の作品。ここで先ほどの服にベージュのシャツを羽織る。突如真っ黒い誰かが現れ、深馬の作品に手を加えて去っていく。

何かを確かめるように、深夜に描くグラフィティ。完成できずに眠り、再び現れる真っ黒い誰か。

ある日、ついに杏奈からの電話で目を覚ました深馬は、真っ黒い誰か=真未と対峙する。

 

 自由さとあふれる才能で、深馬を虜にしていく真未。ついに深馬と真未は一つになる。

 

翌朝、何者かに自分の作品が壊されていることを知るとき、深馬は黒シャツに黒ズボンで現れる(中に白インナーを着ている)

ここから深馬が強く真未に染まる。そしてここから葛藤と絶望を強く感じていく。

 

1週間後、熱中症で倒れていた深馬は病院で目を覚ます。

ここで深馬はグレーのパーカーを着ており、創作意欲がなくなり杏奈といる時間が大切だと感じるようになった、真未とは会わなくなったと語りながら、グレーのパーカーを脱ぎ、最初と同じベージュのシャツを羽織る。

もう一度会ってしまったら、何かが変わる気がする。

違うな、戻ってしまう気がする。

一度ついた染みは消えない。

そう語る深馬。最初と同じ状態に戻っているように見えて、実はズボンは黒いままだ。

一度ついた染みは消えない…か。

 

そしてここから始まる2度目の再生(種明かしシーン)で最初に出てきた白にベージュの衣装なので、深馬が一人だったということが目でわかる。すごい。

絶望と喪失感をまとった深馬のバックに、桜の花びらが舞う中にいる真っ白のワンピースの真未という構図で終わる。

 

深馬が真未に染まっていく様子が衣装で表されている。舞台ならではの演出で可視化されていて、とても変化がわかりやすい。

 

この深馬の衣装に対し、一つ疑問点が残る。

作品を壊したのは、黒深馬ではなく、白深馬であるという点。

作品を壊す=真未の行動であったというのは1度目の展開で出てきているんだけど、真実のターンでは、(真未=深馬なので)深馬が壊した。ということがわかる。作品を壊す深馬は真未に染まった黒い深馬ではないのか。

そもそもあの世界には真未がいなかったのだから、黒深馬という概念も存在しないということなのか。

 

真未と深馬がともにグラフィティアートを制作する瞬間が、コンテンポラリーダンスプロジェクションマッピングで表現される。すごい、の一言(語彙力の欠如)

息をのんで見入ってしまう、吸い込まれるような気持ちよさ、わくわくする気持ち。見ると思わず鳥肌が立つし、たぶん次見ても鳥肌が立つと思う。正門さんと三浦さんの息の合った(息の合ったというより一体化したのほうが正しいかもしれない)一糸乱れぬコンテンポラリーダンスはこの舞台の見物だと思う。

音、映像(アート)、振り付け、ダンス、照明。シンプルな衣装だからこそ引き立つ周りの演出。全部全部素敵空間。

そしてまた描かれるアートが美しいんだよね。あのシーン大好き。最初の稽古から息があったという二人…選ばれるべくして選ばれた二人だな…と…好き(突然)

真未とグラフィティアートをする深馬があまりにもいきいきしているから、よりこの後の展開があまりにも残酷で虚しくなるんだろうな。

 

  • 再生の場面

ラストの深馬の1人芝居。(体感)約5分間全く台詞がない。斬新ですごいな…と思った。

それでいて、今までの出来事は深馬が一人でやっていたことで、真未がいなかったことを感情と照明や音楽等の演出のみで表現する。そして台詞なしで表現する正門さんの表現力。

スプレー缶の振り方、目に輝きをともしてグラフィティアートを描く姿、すべて自分一人でやったと知った(思い出したが近いのかな)時の絶望の表情、そんなはずないと真未の部屋に向かう姿、天井の染みを見上げ「なんだ、真未はやっぱり存在したんだ」と安堵して電話をかける姿、音として流れてはいないのにはっきりと観客の耳に聞こえてくる「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」という機械音、真未がいないことを実感する自慰、そして番号を消して杏奈に縋る姿。

正門良規1人の表現力と観客の想像力に任された時間。舞台の演出として最高だった。

 

 

 

  • 脚本として 

「脚本を因数分解して、再構築する」

以前、傘を持たない蟻たちはのドラマ化したときにシゲアキさんが述べていたこと。

相変わらず面白い表現だなと感心する。

今回の染、色も例外ではなくこの通りで、通ずる部分はあるものの、全くの別作品である。と私は思う。

 

秋に咲いた桜は次の春も咲けるのかな

OPで深馬が引っ掛かり、深馬のいないシーンでもこの話題が出てきたり、ラストシーンの桜が舞う中の真未の姿は、このセリフにかかっているのかなと思う。

 

そしてシゲアキさんの自作詞曲の中に出てくるこの歌詞。

秋に咲いた不時の桜は
次の春も咲けるのだろうか

 「星の王子さま」より

 

この思考は5年ほど前からシゲアキさんの中に存在したんだなぁ、と思いにふけてみたりする。あまりにも酷似したこの歌詞とセリフ。何か関係あるんじゃないかなと歌詞を読み解いてみるんだけど、いまいちしっくりくるものは見つからなかった。

わざわざ意図的にこのセリフを入れたってことは何か、このソロ曲にかかってるんじゃないかなぁと思うんですけどね…

 それ読み解くにはまず星の王子さまの解釈から始めないといけないので時間ありません(笑)

 

「染色」が「染、色」になったわけ

評論家みたいなことは言えないけど、見ていると落ちつく。でも一筋縄ではいかない感じ。これから先何度も思い出すんだろうな。

 

元々よかったけど、見れば見るほど吸い込まれる 。さすがだね、深馬くん。

アートに対して素人な杏奈が述べる言葉。前述が展覧会の作品を見た1回目の感想。後述が深馬の作品に真未が手を加えた後、2回目に見た感想。

今作も素人の私から見ればそんな感じ。執筆に関して詳しいことはよくわからないけど、加藤シゲアキがつくった「染色」が加藤シゲアキによって「染、色」になってより吸い込まれる感覚。ちょっと似ているかなって。

 

今回、舞台化するにあたって、タイトルを全然違うものにするか迷ったうえで「、」を加えることにしたシゲアキさん。ちなみに、シゲアキさんがタイトルを書いたときは「染→、→色」でそのままだったけど、舞台のOPの時は染色と間に1滴染み落ちるように、後から付く感じ。あれは永遠に落ちることのない染みを表しているのかな。

なぜ「、」を入れたのか、本人から語られてはいないので、勝手に汲み取っていきたい。

 

大きな枠組みでいうと、『受け取り手によって受け止め方を自由にしてほしかったから』かと思う。

まず1つ目に「染○○、色」と様々な受け取り方ができること。

染まる、色

染める、色

染まれ、色

染みる、色____

 

あなたなら何を入れますか?

私は 「染みついた、色」が一番しっくりと来るかなって。これは深馬視点で話しているからであって、杏奈からだったら「染まってしまった、色」かもしれないし、

真未だったら「染まれ、色」かなとか。でも私には真未が染めていくというよりは、深馬から染まりに行くような、染みこますようなイメージ。

どんなに時間がたっても一度ついた染みは消えない

染まるというよりも染みついて消えない感じ。実際、深馬から真未という染みは消えていなかったわけだし。これからもずっと染みは消えないんだろうな。

ポスターに使われている”滲むゆくえはしらないかたち”の「滲」という漢字は、送り仮名に「みる」をつけて「滲みる(しみる)」と読める。滲みるはしみ込むイメージ。

 

観劇された方が忘れられない、まさに”染みつく”舞台になると願っています。

(シゲアキのクラウド2021.05.29より)

 

 2つ目に余白を持たせたかったということ。

「、」をいれることで少しできる余白。

抽象的な演出をする瀬戸山さんに託したいと思った今回の戯曲。

 わざとあいまいな表現や矛盾を残し、世界線をぐちゃっとしたまま終わらす。

いや、終わらせない。

 

作品を完成させることが、こわい。と話す深馬。

終わらせたら死ぬから、自分の手から離れたら観客にしかなれないから。

 

矛盾を残すことで、シゲアキさんはこの作品を「殺さなかった」のではないかと思う。

手を加え、余白を残し、未完成なまま世に放つ。シゲアキさんが解説をしない限りこの作品は死なない。

でもシゲアキさんは絶対解説をしない。だから「染、色」は生き続ける。

シゲアキさんの中で、正門さんたちの中で、私たちの中で。

 

 

 

 

 

余談。

理解できない感覚が気持ちいいだけ、酔っぱらってんのよ

というセリフを真未を通して私たちに伝えてくるシゲアキさんはずるい。

誰が私たちをこんな考察魔にしてるんよ。