タイミング逃せば どうにもなんない

語彙力がないヲタクの戯言

染、色を釈す

 

 

 

初めましての人もそうじゃない人もこんにちは。おチビです。

 

また「染、色」の話をします。

 


まず、染、色について書くのは2回目なので、初めましての方は是非、

汲む(くむ)から読んで頂ければ、と思います。

 

cnn2420.hatenablog.com

 

 

 

ここからは、シゲアキさんに、「いや、そこまでの意味はこめてないんだけどな」って笑われてしまいそうなゾーン。

 

たぶん長くなるので、前置きは程々に、本題に入ろうと思う。

 

 


今回は私なりの解釈を進めてみようと思う。

 

 

 

 


※ここから先はネタバレです。話の本筋に触れます。観劇前に読むことはお勧めしません。自衛してください。

※また、個人的な解釈であり、製作側の意図とは異なることがあります。

 

 

 

  • 真未が深馬であること

私はシゲアキさんの作品に触れたのは初めてだし、全くの鈍感なので、ラストシーンを迎えるまで何も気づかなかったが、勘の良い人やシゲアキさんの世界観になじみのある人は、途中で展開に気づいた様子。ピンクとグレーも同じような展開だとか。そういえばラスト〇分で世界がひっくり返る的なキャッチフレーズで宣伝していたな

一度展開を知ってから見ると、真未が深馬であることを匂わせる演出が散りばめられていた。

 

まず、真未はほかの4人とは顔を合わすことはなく、深馬の前でしか現れない。浮気相手だから、と思っていたけれど、そもそもほかの人に見えるわけがないのか。

…と思うと、初めて原田から絵を壊した犯人を見せられるシーン、この時、深馬には真未が壊した映像が見えているけれど、そもそも原田の目には最初から深馬自身が壊している映像が見えていたのかもしれないな…とも思える。

 

次に最初に深馬の絵に謎の黒い人物(真未)が、深馬の絵に描き加えるシーン。真未は深馬のいる上手から登場し、上手に消えてゆく。深馬がその場に倒れこんでいるときは、壁の裏から出てきて壁の裏に消えていく。これも深馬自身であることを示す伏線のひとつかもしれない。2回目で気づいたときぉぉおおお!ってなった。

 

なんだっていいんだよ、おもしろければ

まだ平穏な日常の中で、深馬が原田と北見にいうセリフ。

ここ、面白い!

でもちょっとパース狂ってない?

ここ空間がゆがんでるみたい!

それを、パースが狂っているっていうんだよ

んなことどうでもいいよ、面白ければ。

真未も深馬と同じことを思っていて、それを真未に言われた深馬は驚き、ふっと笑う。

 

彼女は深馬が展覧会に出した絵も知ってるし、お父さんの病気のことも知ってた。

まぁもちろん舞台上に描かれていない深馬と真未の時間もあるはずだからそこで聞いたりしてるかもしれないけど。

 

  •  HANDSとPolydactyly

原作ではHANDSと呼ばれた二人の創作活動。舞台ではポリダクトリーと呼ばれる。これは二人の残すタギングから二つ手の並んだ様子をHAND、二人が手を重ねた様子を6本指の多指症を意味するPolydactylyと人々は呼んだ。

なぜ美術教育を受けていない無知な真未にタギングって言わせたんだろう。パースが狂ってるは通じないのに。なんでタギングは深馬から言わせなかったんだろうって、原作からあえて変更したところに疑問を感じる。

そもそも深馬が一人でやっていたことだから、手は二つじゃダメだった。やっぱり美優と違って、真未は存在しないっていう結論で間違いないことを示している。

ちなみに多指症の原因は染色体異常から起こることがあるそう。

自分の手形に手を重ねてみるシーン、原作でもすごく好きだったから、舞台でもそのシーンが残っていたことに胸が高鳴った。シゲアキ先生、本当に残すところが絶妙。

 

  • 出てくるアート

一つ一つのイラストに意味を考えていたけれど、あまりしっくりくるものがまだ見つかっていないものが多い。いや、意味あんのか知らんけど。

 

恐竜の絵

「モロス」の絵だと解釈した。長い尻尾と特徴的な鶏みたいに細い脚。名前はギリシャ神話に登場する死の定業、運命を司る神からきている。

学名「モロス・イントレピドゥス」は破壊の前触れからきている。

これから深馬の身に起こることの前触れだろうか。

 

丸まった女性

これはまったくもってわからん。卵から変化する胎児っていう先入観持ってたけど、2回目見たら長い髪の毛生えてた。女性やん。

 

青く燃える白い花

クロッカスの花 早春に咲くことから、春の訪れを意味する。

「青春の喜び」「楽しみ」「切望」「努力」「裏切らないで」「不幸な恋」

これはちょっと花自体違う気がするな、花全くわからんし、もっとしっくりくる意味を見つけたい。意味があるかは知らんけど(2回目)

発火する花として『ゴジアオイ』という花がある。花言葉は「私は明日死ぬだろう」うーん。関係ないかな…

 

ビル街と太陽

フォトコールでも公開されていたビル街と太陽が途中で上下さかさまになるアート。

この後の展開がひっくり返ることとか、「みうま」をひっくり返すと「ま(う)み」になることを示しているのかなと。つまり同一人物だよってことをここで示しているのかな。

身内に目に見えるって言われて、それからはもう目にしか見えなくてゾクゾクします。

”パースが狂ってる”あの下絵はこの絵なのかな…?でもそうすると益々滝川はグラフィティアートを見た瞬間深馬であることを確信するはずだよな…?

 

 

その後の絵に関しては、また後で話そうと思います。

 

 

 

  • 深馬は病気だったのか

深馬は解離性同一性障害(いわゆる二重人格)だったのか、それとも統合失調症か。アルコール依存症の可能性も?それともただの夢物語?

気になるのは深馬が熱中症で1週間も寝たきりだったこと。普通熱中症で1週間も寝込む?何かほかに原因があるんじゃないかなって、無知なりに知らべてみた。

 

解離性同一性障害、また少し似たイマジナリーフレンドというものがある。

イマジナリーフレンドは制御可能な、自分の中のもうひとりの人格、お友達のような感覚。解離性同一性障害になるとそれは制御できなくなる。一般的に元々の人格が良心的で勤勉であるのに反し、交代して現れる人格は享受的で放埒*1

眠りから覚めると全く違う人格になっていることが多く、それ以前の人格は喪失している。

どちらかといえば、解離性同一性障害の症状に少し似ている。

 

真未と出会うまで、真未が現れるときは必ず左手にビール、右手にスプレー、そして気を失うように白目をむいて眠りにつく。

スプレーする時必ず左手(ビールか何も持っていないか)の小指が立っているのはご愛敬(笑)

お酒を飲んでいるシーンが印象的なのでアルコール依存症の線も検討したけど、そこまで重度の依存症というほどは飲んでないので違うかな。

缶ビール×正門さんって最高だよねって話は今じゃないか。

 

深馬が病気だったとしたら、一番可能性が高いのは統合失調症かなと。

「最近独り言が多いんだよね…」

これは統合失調症の典型的な症状だそう。直前まで真未としゃべってたんだけど、実際真未はいなかったわけで、深馬の独り言ということになる。深馬自身はごまかすために独り言ってことにしているけど。

 

統合失調症は幻覚や妄想といった精神病症状や意欲の低下。主に思春期から青年期にかけて発症し、男性のほうが重症化しやすい。原因は不明だが、遺伝的要因が強く関与することが指摘されている。遺伝的要因、遺伝子、染色体、、、。

 

聞こえるはずのない音が聞こえてくる幻聴、誰かに盗聴盗撮されているのではないか、狙われているのではないかという妄想、独り言や空笑。

真未の声も、滝川に狙われていたという妄想も、真未としゃべっているはずだった独り言も。

OPのラスト、風船が割れ、音に驚いた杏奈が飛び跳ねると同時に後ろの深馬のキャンバスにあたり、落ちそうになった作品を支えるために手に取った深馬。油絵は表面が乾くまでに10日前後かかるので、手に絵の具がついたはず。そして空間に深馬の空笑が響く。普遍的な日常にドラマが始まる合図。この時メインステージ上には深馬のみが立っているの。ここからが深馬の妄想の合図か?

花の絵を真未が書いた後にも響く深馬の空笑。あのタイミングであることの意味はまだよくわかっていない。

 

「まだ…だめなのか…」

種明かし前の原田と北見のセリフ。まだっていうのが気になるので、自覚症状のない病気だった説がやっぱり濃厚かな…。

 

余談。

パンフレットの表面を31℃まで温めると模様が浮かび上がる仕様の超おしゃれなパンフレット。熱中症の危険を示す暑さ指数(WBGT)は31を超えると「危険」を示すそう。たまたまかな、粋だね。パンフレットにも詰まるこだわり演出に胸が高鳴ります。

遊びすぎてパンフレットの表面がベタベタなのでもう1冊買わなきゃ

 

  • 深馬のスイッチは

 深馬がの染まっていく様子は衣装で見られることは前回書いたが、では深馬が変わっていくきっかけはどこなのか。

色に触れることだと解釈した。

タイトルコール(でいいの?)の際に、絵の具に触れて空笑が響く。

そこから真未が現れるようになる。真未と出会い、つかんだ際に手に真未の腕の白いスプレーが付着する。すぐに心を許してしまう深馬。

そして真未の部屋で襟足にピンクのスプレーを吹かれ、キスをする。マーキング、タギング、キスマークのような意味合い。杏奈にもしっかり拭かせない。

2か月も会っていなかった彼女の家にニコニコ転がり込む。でも彼女に甘えられると明らかに嫌な顔をする。深馬何考えているのかよくわからない。

そして彼女である杏奈は、自分ではない何者かによって変わっていく彼氏を受け入れきれないでいる。

 

一方で深馬はどんどん真未に依存する。真未が大事にしているスプレーを隠すという試し行動をする深馬。試し行動はたしか2歳児くらいの子が、親に対する愛着を確かめるためにいたずらする行為。そして重なる二人。

 

黒深馬になって現れるシーン、腕にはカラフルな塗料が付着している。

深馬「それ、なんで汚すの?」真未「汚す?むしろ洗ってる」

 

杏奈「また腕汚れてる」深馬「汚れじゃない!!」

腕にスプレーをすることを汚れだと思っていた深馬は、後半もういなくなっていて、杏奈に腕のスプレーを汚れと言われたことに声を荒げる。真未の思想に染まっていく深馬。

しかし「君は何にだってなれるんだよ」を受け入れなかった深馬は色を落とし、杏奈といることを選ぶ。腕についた鮮やかなスプレーを杏奈に手渡される黒い布でふき取る深馬。色の落ちた腕を見つめながらこう言う。

一度ついた染みは消えない、そうだろう、真未。

 

最後の再生のシーン、あんなに鮮やかだったヤギとヘビの絵は白黒で表現される。真未がいない世界は色のない世界だった

街にグラフィティアートを描いていくシーン、深馬は白のスプレー1本で描いていて、そこに真未が色を付けていく。2人が出会う前から。唯一違うのが、彼らが一つになった後、絵が壊された後に描く赤と黄色のアート。あのアートだけは最初から深馬も色を使っている。黒深馬のシーンだ。あの時深馬は真未を受け入れていた。いや真未に吞まれていた、のほうが正しいのだろうか。

 

 

  • そもそも真未とは何だったのか 

衝撃の展開を受けた後に考える”真未”とは何か。

概念、夢、希望、幻覚、幻想、人格、、、、そもそも本当に存在したのか、しなかったのか。

私が自由に見える?

見えるね、とっても。

 自由で才能があるように見える真未、でも結局、腕にスプレーをかけないと喚き散らすほど、何かに執着している真未は私には自由には見えなかったな。

 

深馬が妄想の中で作り出した、自分でも知らない自分の奥底に眠る本心が具現化したもの、なのかな。

僕は自分のことは自分でわかってるつもりです。先生にはわからないでしょうけど。

お前にはわからない

最後まで見終わったとき、このセリフを思い出して、深馬自身が一番自分のことを理解していなかったという事実に少しへこんだ。

私は何になりたいのかなって自問自答してたところだったから、あとから刺さった。ずるずるとこの仕事を続けているけど、特にやりたいことなわけでもないし、でもほかにやりたいことも見つからないし、そうなると今のところを飛び出すのも怖いし。今の私にジャニヲタ以外のアイデンティティーが存在しないの。君は何にだってなれるんだよっていうけど、何になれるんだろう。

 

歩くのやめろって言われてやめられる?

さいころから当たり前のようにアートの世界にいた深馬が、絵を辞めることに対する恐怖心を感じていることの表れなのかな。

 

統合失調症、多指症、秋に咲く桜 これらは異常から生まれたもので、染色体が絡む部分からも、真未は深馬の才能に依存する親が原因で生まれてきた存在だと解釈した。こう解釈した説明は、最後のブログで書き記そうと思う。(まだ書くんかい!)

 

 

 まだ噛み砕けていないところ。

・真未の部屋に紫のスプレーが残っていたこと。

・なぜポリダクトリーの活動を深馬一人の落書きで終わらせずに、ロランス朱里の手柄にしたのか。

・杏奈の部屋でとっさにスケッチブックを取り出したり、お母さんとの電話中におもむろにスプレー缶を取り出したところ(杏奈がその後ろで怖いものを見たように驚いていたところも)

・「君はなんにだってなれるんだよ」力が抜けていく深馬だったが、最終的には受け入れなかったところ。

・真未の言う死体がどういう意味合いの比喩か

北見が落ち込んで、杏奈が慰める静止中に、原田が隠しカメラを取るシーン

・真未が腕にスプレーを振る意味と、むしろ洗ってるという意味

・深馬の語りの後の真未の1人でのコンテンポラリーダンスが示すもの

 

 

 

____この舞台で深馬という役が正門良規でよかったなと切実に思いました。それも初主演で。どこかでシゲアキさんも言ってたんだけど(言ってたよね?)、いい意味で正門さんって白に近くて染まりやすくて、これが成熟した俳優さんだったらこうはならなかったなと思うし、このタイミングで正門さんが演じたことにとても意味があるのかなと思います。

深馬は結構くずだし、パンフレットの対談でシゲアキさんが話していたように、「こいつ嫌い!と一線を引いてしまう可能性があるけれど、正門が演じるから大丈夫」という信頼感。正門さんの中にある実直さ。

それはカーテンコールの時に本当によく出ていたなと感じて、会場からスタオベが起こったとき、まるでこの公演で初めてスタオベが起こったかのように、感激する姿。毎度新鮮なリアクションを見せてくれて、どこまでも実直な男だなと感心する反面、少し怖さも覚えました。あまりにも自然に喜んでくれる、あまりに自然な演技に(もちろん毎公演当たり前に起こるものではないので、心から喜んでくれているんでしょうけど)、普段から、正門良規という人物を演じているのではないかと怖くなりました。

 

 

余談。

前回のブログを更新したときに、まだまとまってないんだけどって言ったら、お友達に「また死ねなかったんだね」って言われてくすぐったくなりました。

 

 

 

*1:解約を好み、勝手気ままに振る舞うこと